• Cotact us
  • Privacy policy
  • Agreement for use
  • Company Profile
  1. ホーム
  2. 世界遺産
  3. 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)のイメージ
今帰仁城跡(なきじんじょうあと)のサムネイル1 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)のサムネイル2 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)のサムネイル3 今帰仁城跡(なきじんじょうあと)のサムネイル4

やんばるの地に佇む、いにしえの遺産

やんばるの地に佇む、いにしえの遺産のイメージ

今帰仁城跡とは、沖縄本島の北部、本部半島にある歴史的なグスクです。世界遺産にも登録されたグスクは、沖縄県の県庁所在地である那覇市から車で約1時間30分の距離にあります。

今帰仁城跡の歴史は古く、13世紀までさかのぼるとされています。堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100メートルに位置し、やんばるの地を守る要の城でした。

攀安知(はんあんち)時代に、中山軍(ちゅうざんぐん)に滅ぼされてからは、監守(かんしゅ)が派遣されるようになり、1665年に最後の監守が引き上げてからは、祭りを執り行う場所として残されました。

現在では、桜まつりなどの各種イベントが開催されており、訪れた人たちを楽しませています。

[引用]
世界遺産 今帰仁城跡
http://nakijinjo.jp/index.html

今帰仁城跡の歴史

今帰仁城跡の歴史のイメージ

三山時代

14世紀の中国の史書に琉球国山北王「帕尼芝(はにじ)」「珉(みん)」「攀安知(はんあんち)」の三王が登場します。この頃の沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山、南部地域を南山がそれぞれ支配した「三山県立の時代」でした。北山王は沖縄島の北部を中心に支配下とし、中国と貿易をしていました。しかし1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史の幕を閉じることになります。
 
 
監守時代

北山の敗北後、中山は北部地域の管理とし監守を設置。1422年以後監守の居城としてグスクを利用します。しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻にあい、城は炎上しました。監守が住まなくなって以後は御嶽とし精神的拠り所として広く県内から参拝者が訪れました。
 
 
 
監守時代以降

監守が首里に引き上げたとされる1665年以後の今帰仁村は精神の拠り所として崇拝されてきました。現在でも今帰仁城跡には火神の祠があり、その時代を垣間見る事ができます。

[引用]
世界遺産 今帰仁城跡
http://nakijinjo.jp/history.html

●Gallary

  • nakijinjo1のサムネイル
  • nakijinjo2のサムネイル
  • nakijinjo3のサムネイル
  • Sakura Festival 1のサムネイル
  • Sakura Festival 2のサムネイル
  • Sakura Festival 3のサムネイル