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座喜味城跡(ざきみじょうあと)

座喜味城跡(ざきみじょうあと)のイメージ
座喜味城跡(ざきみじょうあと)のサムネイル1

重厚で美しい曲線を描く城跡

座喜味城跡は名護層を基盤とする標高120m余の丘陵に立地しており、ふたつの郭(一の郭と二の郭)からなる。それぞれの郭にはアーチ石門が造られており、アーチがかみあう中央にくさび石がはめられており、他のグスク等には類例がみられない。
 郭内の面積は城壁を含め7383㎡(2234坪)である。城壁は高い所で約13m、低い所で約3mである。城壁の石材は琉球石炭岩で、主に、「あいかた積み」手法を用いており、部分的に「布積み」や「野面積み」も見られる。城壁を上空からみると重厚で、曲線が多くとりいれられていることがわかる。

発掘調査で一の郭に間口約16mの方形石組の建物跡が見つかった。石組の中に琉球石灰岩礫を敷き詰め、磁石を配置した建物が考えられる。瓦は確認されておらず屋根の作りは茅葺か板葺と思われる。また、一の郭の南側の城壁下からは城壁以前の建物跡(柱穴)が見つかっている。

[引用]
読谷村公式サイト
・世界遺産・座喜味城跡
http://www.yomitan.jp/3/2323.html

座喜味城跡の歴史

座喜味城跡は15世紀の初頭、築城家としても名高い読谷山按司護佐丸によって築かれたといわれる。
護佐丸は当初、座喜味の北東約4kmにある山田グスクに居城していたが、1416年(1422年の説もあり)中山尚巴志の北山城(今帰仁城)攻略に参戦し、その直後、地の利を考慮し座喜味へ築城したといわれる。
 座喜味城跡は1956年に琉球政府の重要文化財に指定され、日本復帰の1972年には国指定史跡となる。翌年の1973年から1985年の間、文化庁・沖縄県の補助を受けて城跡の発掘調査や城壁修理が進められて、日常的に歴史と触れあえる空間としてよみがえる。
 2000年12月2日には村民待望の「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の資産のひとつとして世界遺産に登録された。

■近世の座喜味城跡
 1713年琉球王府編纂の「琉球国由来記」には座喜味巫が祭祀する城内の神としてコバヅカサノ御イベ、マネヅカサノ御イベ、城内火神が記されている。現在では二の郭アーチ石門近くに香炉が移されており、座喜味区の神として拝まれている。
 また、一の郭には1843年(中国年号の道光23年)に設置された座喜味親方の寄進灯籠がある。座喜味親方とは毛恒徳座喜味親方盛普のことで、毛氏は護佐丸の子孫である。座喜味親方が江戸への慶賀使として無事任務を果たしたお礼として城内の神に灯籠を寄進したのだろう。

[引用]
読谷村公式サイト
・世界遺産・座喜味城跡
http://www.yomitan.jp/3/2323.html

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